本記事では「近代以前の歴史叙述って、どんな風だったの?」といった疑問をお持ちの方に向けての内容になります。
本記事は『歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会編)という書籍を参考にさせていただいております。本書は東京大学の教養課程で使用されている本です。歴史学を学びたい方にとっては有益な書籍です。
本書をお読みいただくと、「近代以前の歴史叙述」についての基礎知識が身につくでしょう。
はじめに
要点としては、最初に前近代の歴史叙述について解説します。その歴史叙述のはじまりを2つ分けて説明します。まずオリエントとイスラエル、そしてギリシアと中国です。
前近代の歴史叙述とは?ーオリエントとイスラエルー
詳しく解説します。まず歴史学は19世紀にヨーロッパで確立した近代歴史学に連なる学問です。それ以前には、歴史学はなかったといえば厳密にはなかったのですが、古くから歴史を叙述することはありました。そうした歴史叙述のうち、まずはオリエントとイスラエルの例を挙げます。
まずオリエントでは、文字の使用が知識や情報の記録のために使われ始めました。やがて王が強権を専制的に振るい始める中で、支配者層を中心に、行財政の日誌や王一代の功績が碑文などに記録されました。
そのような記録を用いて一地域や一国の歴史叙述が王の治年に応じて編纂されるようになりました。つまり「支配者による/支配者のための「修史」の慣行が成立し」(同書p28)ました。
それに対して、イスラエル人は、亡国・捕囚という苦難の歴史を、過去の歴史から解釈し直し、独特の解釈(旧約聖書)で歴史を叙述しました。彼らは「民族のアイデンティティの拠り所としての歴史叙述」(同書p28)をしました。
前近代の歴史叙述とは?ーギリシアと中国ー
次にギリシアと中国について見ていきます。まずギリシアでは、ヘロドトスがペルシア戦争を、トゥキュディデスがペロポネソス戦争を『ヒストリアイ』(調査・探究を意味するギリシア語の複数形)という同名の書物にまとめました。これらは個人的・自発的に記述された同時代史かつテーマ史です。すなわち、自身の見聞、特に自ら接した人々への聞き取りをソースとしたものです。
彼らの歴史では、言語や宗教を色濃く共有しましたが、イスラエルのような「民族の歴史」は創出されませんでした。またオリエントのような「支配者の歴史」が編まれることもありませんでした。
このようにして、「個人が自らの関心に基づいて、調査・探究し歴史像を描くという、現在の歴史学に通ずる営みが出現したのであ」(同書p28)ります。
ローマの文人キケロはヘロドトスを「歴史の父」と評しました。ただし、2つの『ヒストリアイ』には、現在の歴史学とは異なる叙述姿勢も見受けられます。
ヘロドトスは、「事実を限定せず(聞き取り調査で)聞いたままに記す」(同書p28)、トゥキュディデスは、「いずれ同様の事件が起こった際の教訓にするために記す」(同書p28)とあります。
これについて、僕の個人的見解としては、ヘロドトスには史料批判の姿勢が乏しい、トゥキュディデスには、教訓にするために主観的要素が入り込みすぎるという危険性がある、ということが挙げられます。
次に中国における歴史叙述については、まず魯の国の年代記として『春秋』が編集されました。その『春秋』を継承する形で、前漢の司馬遷が『史記』を著しました。
古代中国において歴史叙述は、「儒教的な道徳・教訓を示すもの」(同p29)でありました。さらに具体的に言えば、「”天命を受けて「天下」を統べる君主を頂点とした秩序構造”の遵守と維持」(同p29)であったといいます。司馬遷が紀年体を考案し、それが変遷を経ましたが、その後も儒教道徳的な要素は残りました。
まとめ
いかがだったでしょうか?本記事では、「近代以前の歴史叙述って、どんな風だったの?」といった疑問をお持ちの方に向けて、『歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会編)という本を参照にして、みなさまの疑問の解決に努めてまいりました。本記事をまとめると以下になります。
- 近代歴史学から歴史学が始まった
- オリエントでは「支配者のための歴史叙述」であり、イスラエルでは「民族のアイデンティティ」の拠り所としての歴史叙述だった
- ギリシアでは現代の歴史学に通ずる営みが現れ、中国では、皇帝中心の儒教道徳的な歴史叙述が残った
今回は歴史叙述の始まりについて解説しました。「歴史自体の歴史」を紐解いていくのも面白いように思いませんか?皆さまも興味が出たことの歴史や起源を調べてみるのもよいかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
参考文献
東京大学教養学部歴史学部会編『歴史学の思考法』