古代ギリシア哲学者・ソクラテスの人物像とその思想とは?

本記事では「ソクラテスってよく聞くけど、どんな人なんだろう?」「ソクラテスの思想の大事なところは?」といった疑問をお持ちの方に向けての内容となります。

本記事をお読みいただくと、ソクラテスについての基礎知識は身につきます。

本記事の構成は以下の通りです。

  • 「無知の知」とは?
  • 問答法(エレンコス)とは?
  • ソクラテスの死とは?

では解説していきます。

まず「無知の知」とはどのようなものでしょう?

「無知の知」とは?

僕らは自分の「無知」を自覚するべきです。なぜなら自分が知らないことをあたかも知っているかのように振る舞ってしまうと、その知らなかったことを知るための機会を失ってしまうからです。

たとえば、ソクラテスは「自分が無知であることを知っているから、その点で自分はその人よりすぐれている」ということを知っていました。「無知の知」とは、自分は無知であることを知っていることです。

したがって、自分の無知に気づいている方が無知に気づいていない人よりも、その点ではすぐれているのです。だから自分の無知を認め、真摯に学び取りましょう。

自らの無知を認めたソクラテスは問答法を使って、賢人たちの無知を暴いていきました。

では次に問答法とはどのようなものでしょうか?

問答法とは?

僕らはソクラテスの問答法から学ぶべきです。なぜならソクラテスの問答法は、「無知の知」を明らかにするメソッド(方法)であるからです。またそして示唆に富むからです。

たとえば、人は知っていると思っていることについては必要以上に調べたり、考えたりしません。しかしその知っていることが、間違っていたり、正しくないと分かったとき、この物事の対象を知りたいと思います。これが、ソクラテスの言う「愛知(フィロ(愛する)、ソフィア(知))」であり、「哲学(フィロソフィー)」です。哲学とは、知を愛する営みです。

余談ですがよく誤解されることに、「哲学は現実離れをしている」とか「哲学は無駄だ」という風な考えをお持ちの方もいます。もちろんそのような考えは否定しませんが、哲学的営みの有用性,娯楽性に着目してほしいものです。哲学とは、先述しましたが、知を愛する営みです。したがって様々なことを知る楽しみを持ちつつ、成長していきたいものです。

ところでソクラテスは賢人たちにそのようなことを気づかせるために問答法を使って、真の知に近づこうとしました。また古代ギリシアのデルフォイ神殿の入り口には、「汝自身を知れ」という哲学者タレスの言葉が彫ってあり、あの「無知の知」を思い起こさせます。

さらには、知を愛することは「ただ生きるのではなく、より善く生きること」を可能にするとソクラテスは言います。ソクラテスは、富や身体の健康ではなく、「魂への配慮」を目指しました。経済的,肉体的満足より精神的満足ということですね。

「魂への配慮」とは、自分の魂に目を向けるということです。それによって「善く生きる」ことができるといいます。真に配慮すべきことは、善悪を判断し、真理に近づくことです。それが「徳(アレテー)」です。

ソクラテスにとって徳とは「何がよいかを知っていること(「徳とは知なり」)」でした。「魂への配慮」の最高の状態が「徳」です。

したがって、僕らは自分の無知を他者との交流を通して学び取り、さらに「より善く生きる」ために、「魂への配慮」をしつつ、徳の高いことをしていきましょう。

そんなソクラテスも論破された賢人から反発を買い、青年たちを扇動した罪で裁判にかけられました。結果として、死刑が宣告されました。では次にソクラテスの死とはどのようなものなのでしょうか?

ソクラテスの死とは?

僕たちはソクラテスの死から学ぶべきです。なぜならソクラテスの死は「善く生きる」ことの実践だったからです。

たとえば、ソクラテスは魂の不滅を否定することはできないとしました。つまり死んだ後も、魂は永続だという意味です。したがってそのようなことを論証しておいて、死刑のための毒杯を飲むのを恐れるのは哲学者として恥ずかしいと言うのです。なぜなら毒杯を飲めば、肉体は滅びるが、魂は残るからです。つまり魂は永続だから恐れる必要はないと考えたからでしょう。だからソクラテスは毒杯を飲み干しました。

また友人が国外への逃亡を勧めてきましたが、アテナイで問答を行うことがソクラテスの使命であるとすれば、ポリスから離れることは、「善く生きる」ことの実現の挫折に他ならなくなります。なぜならアテナイでの使命が完遂できなくなってしまうからです。したがって、ソクラテスは友人の逃亡の勧めを断りました。

さらにソクラテスは「悪法も法なり」という言葉がある通り、アテナイで規定された法であるならば、その法に従わざるを得ないと考えていたので、裁判の結果、すなわち死刑を受け入れるべきと考えました。

ここまで色々解説してきましたが、ソクラテスの主張には、ある意味困難さや両義性を含んでいます。ソクラテスの「徳は知である」は「主知主義」と呼ばれますが、それは「意志の弱さ(アタラクシア)」を説明できません。つまりいくらすべきことが分かっても、それを実行できないという問題があります(「ソクラテスの逆説」)。

またソクラテスの問答は「人間は無知である」というネガティブな側面がある一方、魂への配慮というポジティブな側面もあります。すなわち問答をするときに彼は、負けることを想定していなかったということです。なぜなら「偽りの倫理的信念を持っている者は、必ずそれを否定する信念も持っているから、矛盾に陥る」という大前提に立っていたからです。

したがって、僕らは「ソクラテスの死」から、自分が無知であることを知る「無知の知」、「魂への配慮」をした「より善い」生き方、あるいは「徳」のある生き方、さらには「ソクラテスの逆説」を克服するような生き方を学ぶべきです。

そうすれば富や身体の健康を超越した精神的幸福を得られるでしょう。もちろん、経済的な基盤、身体的健康さに根付いたものであることはいうまでもありませんが。

まとめ

いかがだったでしょうか?本記事では、「ソクラテスってどんな人?」「ソクラテスの思想の大事なところは?」という疑問をお持ちの方への内容でした。記事の内容をまとめると以下になります。

  • 「無知の知」とは、無知を自覚すること
  • 「問答法」とは、ソクラテスにとっては「哲学(知を愛すること)」だった
  • 「ソクラテスの死」からは「善く生きる」ことの実践が学べる

僕も学ぶことに限界を作らないで、オープンエンド的に新しいことを好奇心を持って学び続けていきたいです。みなさんもぜひ学んでいきましょう。このブログを活用してもらえれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考文献

貫成人『図説・標準 哲学史』