本記事では「近代歴史学っていつ成立したの?」「近代歴史学の発展の経過とは?」といった疑問をお持ちの方に向けての内容となっています。
本記事は『歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会編)という書籍を参考にさせていただいております。本書は東京大学の教養課程で使用されている本です。歴史学を学びたい方にとっては有益な書籍です。
本書をお読みいただくと、「近代歴史学の成立と発展」についての基礎知識が身につくでしょう。
はじめに
近代歴史学の成立と発展を見ていきます。主に3つの観点からです。第1に近代歴史学と史料について、そして第2に近代歴史学と日本について、最後に第3に近代歴史学の問い直しー言語的転回(リングィスティック・ターン)についてです。
近代歴史学と史料
まず最初に近代歴史学と史料について説明します。前近代においては、過去の事実が「根拠」を伴わず、支配者の正統性や神の摂理、あるいは道徳・教訓を権威づけするために「使用」されました。
それに対して、近代では19世紀前半ヨーロッパ(特にドイツ)で近代歴史学(実証主義歴史学)が成立しました。近代歴史学はレオポルド・フォン・ランケが代表者です。彼は「近代歴史学の父」と呼ばれるドイツの歴史家です。
実証主義歴史学とは、厳密な史料批判をして客観的な歴史叙述を目指す歴史学の立場です。ランケは、外交や政治に従事した当事者たちの報告や手記を活用して、各国の近代史執筆をしました。
近代歴史学は、高等教育機関で学習・研究の場と、その成果を討議する学術空間を得て、一学問分野として専門化・制度化しました。その頃のヨーロッパは、国民国家の形成・発展期にあり、自国のアイデンティティとなり得る、そして国民の一体化に寄与しうる歴史が必要とされました。
また19世紀の実証主義的な科学観によって、「客観性」や「絶対性」であるものが望まれました。なので国民国家の歴史学としての性格が強く帯びていました。とりわけ政治史・外交史がとりわけ史料と見なされました。
近代歴史学と日本
近代歴史学は日本にも移入されました。大きな転機はランケの弟子のL・リースが来たことです。明治政府の御雇外国人として、彼は東京帝国大学の史学科の教師になりました。
そこでリースの建議によって、帝国大学に新たに国史(日本史)学科が増設されました。リース去った後は、史学科が国史学・東洋史学・西洋史学の3つの専修学科体制になりました。
しかしこれは日本独特の制度で、「アフリカの歴史はどこで学ぶのか」などの批判があります。しかしそのような批判を受けながらも、現在も維持されている制度であります。
近代歴史学の問い直しー社会史と言語論的展開
近代歴史学では対応できない範囲を超えた新たな視点や要素があります。それには新たらしい研究アプローチが必要です。それが社会史です。
まず政治史・外交史の優位性の問い直されました。それによって登場したのが、社会史です。社会史は、20世紀前半のフランスで起こったアナール派から始まりました。そこでは国家の政治や外交ではなく、その奥の社会における人間の生活文化をより全体的を捉えようと試みがなされました。
たとえば、庶民の日常生活,家族,性愛,ジェンダーなどです。それに伴って、用いられる史料も変化しました。すなわち「国家に関わる文書」以外の文字史料から文字以外のモノ(絵画や道具)までが、その対象となりました。
次に「言語論的転回」について説明します。近代歴史学の問い直しにおいて、歴史学の主観的要素にもその批判が向けられました。すなわち「歴史学が対象とする過去の事実は、研究する主体が主観に応じて選択的に認識するものではないか」という20世紀前半の批判です。
「言語論的転回」とは、「構造主義」「ポストモダニズム」の議論において、「事実の認識など不可能である」というスイスの言語学者フェルナン・ド・ソシュールの主張を援用したものです。
人は、言語というある種の「枠組み」に従って物事を捉えている。したがって歴史学も、主に言語によって書かれた史料を言語を用いて認識するのだから、そこから得られるのは、主体(史料の書き手や読み手)の言語によって、規定された事実に過ぎず、事実そのものではあり得ないというわけです。
しかし、この主張がすべて「正しい」というわけではありません。なぜなら、ランケは「作りごとではない事実」を示そうとしたのであって、「事実そのものを示そう」としたのではないからです。
ちなみにランケは「ただ事実は本来どうであったか語ろう/示そう」と有名な言葉を述べましたが、これは事実を教訓や道徳に「使用する」ことへの批判の文脈で書かれたものです。全体として、「言語論的転回」の議論は主観・客観の二項対立になってしまっています。
近代歴史学はたしかに主体に無自覚で史料に書いてあることを短絡的に「正しい」と断じてしまう傾向はありました。その批判(事実の認識など不可能である)として、近代歴史学は自省を促されました。そして主体の存在を前提にし、より多角的に把握することが目指されたのです。
そこで「主観か客観か」の二項対立ではなく、「主観も客観も」という両者の関係性をより意識する方向性が歴史学において取られました。その試みを模索のなかで、少しずつ成果を出しているのが、「現在の歴史学」なのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?本記事では「近代歴史学っていつ成立したの?」「近代歴史学の発展の経過とは?」といった疑問をお持ちの方に向けて、『歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会編)という本を参照にして、みなさまの疑問の解決に努めてまいりました。本記事をまとめると以下になります。
- 近代歴史学と史料に関しては、ランケがその基礎を築いた
- 近代歴史学と日本に関しては、リースが日本に来て日本の歴史学を発展させた
- 近代歴史学の問い直しー社会史と言語論的展開とは、社会史において政治史・外交史以外の分野にも研究の関心が向けられ、言語論的転回とは、人間の思考の枠組みとは言語に規定されているとするものである
今回は現代の歴史学に連なる近代歴史学の話でしたが、ランケが起こし、リースが日本に広めました。歴史の成り立ちを知るのは楽しいですよね。ぜひ歴史への関心を高め続けていただきたいです。
参考文献
東京大学教養学部歴史学部会編『歴史学の思考法』
歴史を学ぶと過去の知識を知ることができます。現代社会に歴史を知恵として生かせるのでしょう。又、学ぶことより、訓練にもなると思います。習うは一生ですね。
イカマサ様
コメントありがとうございます!
たしかに、「現代社会に歴史を知恵として生かす」という考えはいいですね!
歴史を学んで現代社会を読み解くことで自分の人生を豊かにする糧にしたいです!学んでいきましょう!
近代歴史学。
L.リース氏。覚えておきたいですね。
みーちゃん様
コメントありがとうございます!
リースは日本に近代歴史学を広めた人物です。ランケの弟子です。ご興味がおありでしたら、ネットや書籍で調べてみるのもよいかもしれません。ぜひ!