「教養のある人格者」とは?ー精神的貴族主義的な生き方

本記事では「教養人って何だろう?」「人格者って?」という疑問をお持ちの方に向けた内容となっています。

本記事では、「教養」や「人格」についての説明を歴史的観点から、みなさまの疑問の解決に努めます。またそれに加えて「精神的貴族主義」という考え方も説明します。

本記事をお読みいただくと、「教養のある人格者」になるための態度を理解できます。

ではまず「教養」とは何でしょうか?

教養人とは?

教養とは、3つの観点から説明できます。知性、創造力、リベラルアーツです。それらを備えている人物が教養人だと僕は考えます。まず知性について説明します。

知性とは何でしょうか?結論から言えば、それは自己を相対化する力です。自己を相対化するとは、どういうことでしょうか?

まず自己を相対化するというのは、他者との比較によって行われます。そして他者との比較によって、自己の立ち位置を理解し、さらに他者の立場も同様に理解し、相互的なコミュニケーションを図るのです。

知性は自己中心性を脱却し、他者とのコミュニケーションを図るための態度なのです。したがって、このように自己を相対化し、自己中心主義を脱し、他者との共存,協調を成し得る人が教養人です。

次に創造力とは何でしょうか?結論から言えば、それはつなぐ力です。何と何をつなぐのでしょうか?それは点と点をつなぎます。

たとえば、既存の知識と既存の知識をつないで新しい見方を発見するのも創造力によるものです。これをApple社で有名な故スティーブ・ジョブズは、「コネクティング・ザ・ドッツ」と呼びました。彼のような世界を席巻した創造的な人物でも既存の知識同士から新しいことを発見することを重視したのです。ちなみに彼は「創造性とはつなぐ力」と言っています。

創造力は、現状を打破するために必要な力であり、伸ばすことが可能な能力です。したがってこのような創造力を持って、現状の問題に取り組み続けるマインドセットをがある人こそが教養人です。

最後にリベラルアーツとは何でしょうか?結論から言えば、それは自由になるための技法です。何から自由なのかというと、偏見・差別からです。そのような考えから解放されると、狭い視野に縛られない柔軟な思考が可能になるのです。

柔軟でしなやかな思考ができると、多様な価値観を受け入れることができます。教養人はそのような多様な価値観を受け入れられる態度が必要です。したがって、このようなリベラルアーツ的態度を体現している人が教養人です。

次に人格者とは、どのような人物でしょうか?

人格者とは?

まず人格者についての考えには様々なものがあると考えます。本記事では「利他性」という観点から説明します。

では「利他性」とはどのようなものでしょうか?まず利他とは、他者のためになることです。そのような性質を持っているのが、利他性という意味です。僕は人格者には「利他性」が備わっていると考えます。

例を2つ挙げます。まず1つ目の例です。たとえば仏教では「慈悲喜捨」という考えがあります。これはどういう考えかというと、「慈」とは、弱い立場の他者を慈しみ、「悲」とはつらいことがあった他者を悲しみ、「喜」とは、よかったことがあった他者を喜び、「捨」とは、我欲を捨てるという意味です。

この考えには他者を尊重し、自己を控えるという考え方が読み取れます。さらには他人の感情に共感するという態度や我欲を捨てることで献身的であるという印象を持ちます。それが一つの「利他性」の思想と言えるでしょう。したがって、僕らは仏教の「慈悲喜捨」という思想から学ぶべきです。

次に2つ目の例を挙げます。科学者アインシュタインの「愛情と献身」についての言葉です。引用します。「本当に価値のあるものは野心や義務感からではなく、人間に対する愛情や献身から生まれます」(弓場隆『アインシュタインの言葉 エッセンシャル版』)。

この言葉から人間に対する愛、すなわち利他性は「愛情や献身」から生まれるとアインシュタインは説いています。また「野心や義務感ではなく」とありますから、自発的で強制されたものではないことが分かります。このようにして、僕らはアインシュタインのこの言葉から学ぶべきです。

最後に精神的貴族主義とはどのようなものでしょうか?

精神的貴族主義とは?

まず精神的貴族主義とは、実際に貴族かどうかを問わず、精神を気高く保とうとする考え方です。そのような精神のあり方を精神貴族やノブレス・オブリージュと言います。例を2つ挙げます。まず1つ目です。

たとえば、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』の中で、大衆が台頭してきた時代の中で、民主制が暴走しないためにも、リベラルであることを重要視しました。このリベラルさとは、自分とは異なる他者を冷静に受容する寛容さです。そしてオルテガの言うリベラリズムを持っている人たちが精神的貴族なのです。

また2つ目は、日本の思想家丸山眞男は『日本の思想』の中で、ラディカル(根本的)な精神的貴族主義が民主主義と内面で結びついていくことだと論じ、民主主義において精神的貴族主義の必要性を述べました。

このように2つの例から、精神的貴族主義は、他者との共存を受け入れる寛容さ、あるいは民主主義においても必要性がある考えであり、そのような考えを持っている人こそが人格者であると僕は考えます。

まとめ

いかがだったでしょうか?本記事では「教養人って何だろう?」「人格者って?」という疑問をお持ちの方に向けて、「教養人」「人格者」「精神的貴族主義」という観点から役に立つ考えを述べさせていただきました。まとめると以下の通りです。

  • 教養人とは、自己を相対化でき、創造力があり、リベラルアーツ的態度を持っている人
  • 人格者とは、利他性を持っている人
  • 精神的貴族主義とは、精神を気高く持ち、他者との共存、あるいは受容に寛容であるという考え方

読者のみなさんはどのように生きていきたいですか?僕は知性や教養を高め、他者とのつながりを大切にしていきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考文献

中村元訳『ブッダのことばースッタニパータ』

弓場隆『アインシュタインの言葉 エッセンシャル版』

ホセ・オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

丸山眞男『日本の思想』

7件のコメント

  1. イカマサ より:

    リーダーシップや柔軟性、思いやりなどを持った優れた性格を持っている人だと私は思います。やはり、性格が一番ですね。私は人格者にはなれませんが、思いやりの気持ちは持ち続けたいと思います。

    1. NaoTo より:

      イカマサ様
      コメントありがとうございます!

      性格を重要視してらっしゃるんですね。ではその性格はどのようにして形成されるものなのか、不思議ですね。また僕は性格は固定的なものではなく、可変的なものと考えています。

      「思いやり」は大事ですね。

  2. みーちゃん より:

    人して、道理をわきまえる事が生活に喜びをもたらすと信じて。

    これからも過ごして行きたいですね。

    1. NaoTo より:

      みーちゃん様
      コメントありがとうございます!

      「道理をわきまえる」
      すなわち倫理的に生きるということだと察しますが、これはある程度、重要ですね。なぜなら自分がどうしたいかにも依るからです。なので、「他者貢献」が「自己実現」につながるような意識,目的が持てるとよいですね。

      僕も精進します!

      1. みーちゃん より:

        コメントありがとうございます

  3. ししみ より:

    リベラルアーツとは、差別や偏見の思い込みをなくし、すべてのひとは自由で平等である、と。
    大富豪、ホームレス、犯罪者、価値観の違うひとなど、受け入れがたい人達が世の中にはたくさんいますよね!
    心をしなやかに寛容にするには、やはり思いやりの心(慈悲喜捨)大切なんですね!
    いろいろ学ばせていただきました!
    ありがとうございました。

    1. NaoTo より:

      ししみ様
      コメントありがとうございます!

      「受け入れ難い人達が世の中にはたくさん」いるということですが、そのように、受け入れ難くしているのも、自分の認識のためと言っていいでしょう。なぜなら人それぞれ、境遇が異なるため、本質までその人間を理解できていないことがあるからです。

      たとえば、大富豪なら寄付や慈善活動をしているかましれない。ホームレスなら理不尽な理由で家を追い出されたのかもしれない。犯罪者なら貧困から犯罪に手を染めてしまったかもしれない。

      つまりその人の今の状態だけが、その人を表しているのではなく、その歴史があるわけです。だからその歴史、バックグラウンドを理解するためには自分の想像力を働かせるとともに、社会や人間ついても学んでいってた方が自分の認識の質を向上させるでしょう。

      そこでは「思いやりの心」や利他心が必要になります。やはり相手の立場に立つことが必要になるのですね。

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