本記事は「教養を高めるには、なぜ世界史がおすすめなの?」「世界史の魅力ってどんなところ?」といった疑問をお持ちの方に向けての内容となります。
本記事をお読みいただくと、世界史を学ぶべき理由が分かり、世界史に対する興味・関心が高まるでしょう。
本記事の内容は以下になります。
- 「自己相対化」としての世界史とは?
- 「文化理解」としての世界史とは?
- 「人間理解」としての世界史とは?
それでは説明していきます。
まず自己相対化としての世界史とは、どのようなものでしょうか?
「自己相対化」としての世界史とは?
世界史は自己を相対化(他と比べられる)するための手段です。なぜなら歴史の中に自分は存在しているからです。
たとえば自国の過去を知ることで、自分が所属している国はどのように形成され、どのような変遷,変化を遂げてきたのかといったことを知ることができます。
そのようにすれば、長い歴史の中で、今の自分の存在があるということを実感するでしょう。また他者も同じように存在し、尊重し協調すべきだと感じるでしょう。
そのようにして、他者との協働,つながりが生まれ、自己を絶対化せずに、また自分中心的にならないことを学ぶのが世界史学習の意義とも言えるでしょう。
したがって、世界史を通して、自己を相対化し、自分中心的にならないことによって、他者との有意義な営みを紡ぎ出せるのです。
次に文化の理解としての世界史とはどのようなものでしょうか?
「異文化の理解」としての世界史とは?
我々は異文化を理解しようと努めるべきです。なぜなら文化間の軋轢(摩擦,衝突)は、他文化を理解しようとせず、抑圧しようとし、自文化の優越性を主張し合うものだからです。
文化の違いがよく分かるのが宗教でしょう。
たとえば、キリスト教を中心とした西欧文化、イスラム教を中心とした中東文化、仏教を中心としたアジア文化など様々な文化があります。
それぞれの社会の中では、自分たちの宗教,文化が当たり前の常識であり、行動規範(きまり)なのです。それからはみ出すものは異常であり、自文化こそが正常だという習慣,習俗
的な要素もあるのです。それが原因で文化的摩擦が起こることも多いです。
宗教の問題は根深いですが、他の文化という側面に目をやると、日本はサブカルチャー(マンガ,アニメ)など交流が盛んな分野もあります。これが日本の文化理解の促進となっていればよい面です。
いずれにせよ、我々は他者を尊重し、その文化を理解,受容することを世界史学習を通して学びとらなくてはなりません。
次に人間理解としての世界史とは、どのようなものでしょう?
「人間理解」としての世界史とは?
我々は世界史を通して人間理解することに努めるべきです。なぜなら世界史、あるいは歴史は、その人物の行動,思想から人間一般について理解することができるからです。
たとえば、古代ギリシアの哲学者・ソクラテスは、青年たちを扇動した罪で裁判に掛けられました。その裁判で死刑が宣告され、毒杯を仰ぐことになるわけですが、友人は脱獄を勧めます。当時はお金を払えば罪から逃れられたのです。
しかしソクラテスは「悪法も法なり」として国家の安定性を優先しました。つまりソクラテスの生き方は「善く生きる」ことにあったと言えます。なぜなら自分一人が勝手なことをしてしまえば、国家全体としての秩序が乱れてしまうからです。
これは今の社会にも言えるでしょう。個人の自由と社会全体の秩序の関係は現代の問題のさまざまなところに蔓延(いたるところにある)しています。
このようにして、ソクラテス1つを例に取っても、さまざまななことを考察できます。それが人間理解につながるのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?本記事では世界史を勉強するメリットや楽しさを3つの観点から説明していきました。以下の3点です。
- 自己相対化」としての世界史とは、歴史全体から自分を位置づけること
- 「異文化理解」としての世界史とは、歴史を通して、異なる文化を理解すること
- 「人間理解」としての世界史とは、歴史を通して、人間を考察すること
本記事をお読みいただいて、どのような感想をお持ちになりましたか?ぜひコメント欄にその感想を書いていただきたいです。さまざまなことをみなさんと共有,議論したいです。またみなさんのおすすめの歴史書があれば教えてくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
参考文献
納富信留訳『ソクラテスの弁明』
久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』